空にはゆったりと雲が流れ、鳥たちは我が物顔で自由に空を飛び回る。
いつも通りの雲と鳥の織りなす穏やかな光景。
この世界の空にヒーローの姿はない。いや、空だけじゃない。この世のどこにもヒーローと呼ばれる職業は存在しなかった。
そして、どういう訳か、俺は高校一年生として退屈な授業を受けていた。
教師が黒板にチョークを走らせる音と外から聞こえる蝉の声を聞きながら、俺はぼんやりと空を眺めていた。今見ている空が、俺の知っていた空と違うことに気がついたのはつい先日のことだ。きっかけは些細なことだった。夏休み明けの教科書や課題を詰めた荷物を運ぶのが面倒で、圧縮できたらいいのにと思いながらそれに触れた瞬間、荷物は小さな玉へと姿を変えた。そして、『個性』の発動がトリガーとなり、敵連合で過ごしていた世界の記憶が蘇った。
この世界には『個性』が存在しない。いや、『個性』の存在が許されていないといったほうが正しいだろうか。『個性』は変異病と言われ、身を滅ぼす病として治療対象となっている。だからこそ、今まで自分が『個性』を使えるとは思わなかったし、発動しようともしてこなかった。
そんな、俺がいた世界とは何もかもが違う世界。そんな世界でもあるにもかかわらず、変わっていない俺の『個性』と迫圧紘という名前が強烈な違和感を発していた。
そして、同じような違和感を発している人間がもう一人。
分倍河原仁。
俺の斜め後ろに座り、頭を掻きながらノートを取っている金髪の男の姿は、紛れもなく敵連合で一緒に過ごしたトゥワイスだった。この世界で俺とトゥワイスは同じ養護施設育ちだったが、年齢も性格も違うこともあり、俺達はあまり会話をすることはなかった。前の世界とは違って一つ年上のトゥワイスは、高校に入ってからはダブってしまい、同じクラスになった。けれども、話す頻度は変わらず、ただのクラスメイトの一人のような扱いになっていた。
そんな普段話さない存在になっていたトゥワイスに、敵連合だった頃の記憶があるのかを確かめようとして話しかけたのは、ほんの一週間ほど前のことだ。もっとも、思い出しているのならば、トゥワイスの方から話しかけに来ているだろう。話しかけてこないということは、そういうことだ。
案の定、急に〝敵連合〟や〝トゥワイス〟という言葉に聞き覚えがあるかと聞かれたトゥワイスは、訝しげに眉を顰めて、ただ一言「知らねぇ」と返した。
ただ、それで諦める俺ではなかった。
授業終了のチャイムが鳴り、さっさと教室から出るトゥワイスを追いかける。たかだか、十数分程度の休み時間、トゥワイスはいつも一番に教室を出て、何をするでもなく校舎の屋上で過ごしていた。
「何か用か」
トゥワイスは一緒に屋上に入ってきた俺の方を振り返り、ただ一言、そう問いかけた。俺を見つめる瞳に敵連合で一緒だった頃の晴れやかさはなく、影を湛えた瞳は曇天を思わせた。そんな見慣れぬ瞳に他人であると思い知らされた俺の口からは、思い出に縋るように「トゥワイス」という呼びかけが零れていた。
「そのトゥワイスっていうのは、クラスで流行っている俺のあだ名か?」
「いや、違うけど何で?」
「ほら、俺ってダブってるだろ?それで、ダブる、ダブル、二倍、トゥワイス……みたいな感じかなと」
トゥワイスという呼ばれ方を至極真面目そうに考察する目の前の男に、先ほどとは打って変わって親近感と懐かしさを覚える。俺の口からは自然と笑みが零れていた。
「そう思ったのならさ、まず怒るだろ。馬鹿にしてんのかってさ。何を真面目に考察してんのよ」
「いや、だって違ったら悪いしよ……」
眉をハの字に困らせてそう呟く姿に、目の前の人間は今も変わらず、トゥワイスであるという確信を強める。
「半分正解、半分間違い。二倍っていうのは合ってるけど、ダブってるからじゃない。お前の『個性』が二倍だからだ」
「個性?」
「能力みたいなもんかな。お前はデータとイメージさえあれば、何でも二つに増やせたんだよ」
「なんだ、次は俺が変異病だとでも言いたいのか?」
「違う……けど、違ってもいないのか。ああ、もうじれったいな。俺のデータを教えるからイメージして、増やしたいって念じてくれよ。そしたら増えるはずだからさ」
あらかじめ測っておいた身長と体重、足の長さのデータをトゥワイスに伝えて、増やしたいと念じてもらう。
「増えないけど」
結果は失敗だった。俺はおろか泥すらも生み出さない。何も生み出さないことに俺が肩を落としていると、トゥワイスは変なやつを見る目で俺を見つめていた。何も生み出さなかったと言ったけれど、俺に対する疑念は生み出したのかもしれない。
「なあ、俺の姿を見て何か思い出すとかない?」
「ない」
きっぱりと言い切られて、俺は落ちた肩を更に落とす。これ以上落とすと脱臼しそうだ。他に方法はないかと思案していると、俺は先ほどの質問の間違いに気が付いた。トゥワイスにとっては仮面にシルクハットをつけている姿が俺のいつもの姿で、今の俺の姿を見てもピンとこないのは当たり前だ。衣装と仮面をつけた姿を見れば何か思い出すかもしれない。
「用意しておくから、月曜日の昼休みにまたここで待ち合わせな」
***
「で、用意って言うのがこれか?」
トゥワイスの奇妙なものを見る冷ややかな視線が、いつもの衣装に着替えた俺に突き刺さる。もちろん、俺も姿をみただけで思い出すとは思ってはいない。そこで、トゥワイスの記憶に深く刻まれているであろう光景を再現するためにあるタネを仕込んでおいた。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。ミスターコンプレス、一世一代の人体切断マジック!」
圧縮玉から鉈を取り出し、自らの左腕をめがけて振り下ろす。振り下ろされた鉈は左腕を抉り、血しぶきを上げる。抉られた腕はボトリと地面に落ちた。
「あ、ミスっちゃった」
「な……」
目の前で繰り広げられた凄惨な光景にトゥワイスは目を見開き、口をパクパクとさせる。そして、そのまま頭を抱えてうずくまった。流石にやりすぎたかもしれない。そう思い、シャツの中に隠していた本当の左腕を出して、種明かしをしようとトゥワイスの前に屈みこむ。
「ごめんね、脅かして」
「あ、ミスター……?」
トゥワイスの目は揺れて、その手は縋るように左腕を掴んだ。
「良かった。今回は失わなくて……。無くなっちまっても義手があるさ!」
トゥワイスの言葉に俺は目を見開いた。
「思い出したのか!」
「ああ、ばっちりだ。曖昧だな!」
「にしても、悪趣味にもほどがあるぜ。さっきの手品はよォ」
トゥワイスは適当なものを二倍で増やしながら、先ほどのマジックに対して口を尖らせて文句を言った。
「でも、ばっちり思い出しただろ」
「まぁな、にしても何なんだ。この世界はよ」
「さぁな、俺にもさっぱりだ」
「他の敵連合のメンバーもいるかもしれねぇな。トガちゃんとか死柄木とか荼毘とかスピナーとか……。あ、あとホークスのやつもいるかな?あいつも連合のために頑張ってくれてたもんな!」
トゥワイスの口から出たホークスの名前にジワリと暑さのせいではない嫌な汗が流れる。
「お前、記憶ってどこまであるんだ?」
「えっと、超常解放戦線になって、しばらくした所かな。あんまりはっきりはしねぇわ。ミスターは?」
「俺は……」
俺の記憶は死柄木とスピナーを助け出した後から途絶えている。つまり、トゥワイスがホークスに殺されたことは知っている。だからこそ、トゥワイスが命からがら俺を助け出してくれたことに感謝を伝えたかった。けれど、それは同時にトゥワイスがスパイであるホークスに情報を教えたことや、その結果、襲撃を引き起こしてしまったことも伝えることになる。その事実を知れば、トゥワイスはきっと自分を責めてしまうだろう。
「俺も同じくらいの所までの記憶かな」
「そっか。前世の記憶ってことなのか?」
トゥワイスは俺の嘘に気が付く様子もなく、今の状況について思考を巡らせはじめた。
「前世の記憶っていっても、名前と個性まで一緒とは考えにくいわな。一人じゃ調べて見る気も起きなかったけど、お前となら調べてもいいかなって気はしてるよ」
「ま、俺もそのままって言うのも気になるし調べたいかな。どうでもいいぜ!」
トゥワイスと俺は同じ養護施設で育った。出生にヒントがあると考えれば、そこから辿るのが早いだろう。
「俺達の育った施設ってどの地域の子供を集めてるんだろうな」
「さあ、気にしたこともなかったな。そういうのは今時じゃネットで調べるのが早いんじゃねぇの」
トゥワイスはスマホを取り出して、施設の名前で検索する。開かれたトップページを下にスライドしていくと、施設の理念と一緒に院長の顔写真が表示された。
「おい、トゥワイス。これって……!」
「氏子ドクターか……?」
表示された顔写真は紛れもなく、敵連合の資金援助や脳無の開発を行っていた氏子ドクター本人の顔だった。
「なんで、氏子ドクターが……」
なぜ、氏子ドクターが生きているのか、この状況は何なのか、皆目見当がつかなかった。けれど、それを確かめるには氏子ドクターに直接聞くのが早いことは確かだった。
「トゥワイス……。確かめるか」
「ああ、もちろんだ」
養護施設に電話を掛け、院長と話がしたいと伝える。電話は数回の保留音の後、院長に変わった。
『何の用かな』
その少ししわがれた声は紛れもなく、氏子ドクターの声だった。
「話がしたい。要件は言わなくても分かるだろ?」
『ほほう。その様子だと思い出したようじゃな。電話より直接見たほうが早いじゃろう』
そういうと氏子ドクターは電話を切り、代わりに場所と日時を送ってきた。地図上に表示されたのは森の中の展望台。近くの林道までバスが通っているとはいえ、周囲には何もなさそうな場所だった。こんなところに何が隠されているのだろうかと疑問に思うが、行かないという選択肢はなかった。
トゥワイスと一緒に指定された展望台へと向かう。バスを乗り継いだ先のバス停で次のバスを待ちながら一休みをする。その場所はいかにも田舎といった風景で歩いている人は少なかった。そんな青々とした田んぼ道を一人の老婆が大きな荷物を持ちながら歩いていた。時折、立ち止まっては座り込み、休憩をとっているようだった。俺とトゥワイスは見かねてその老婆の元へと向かった。けれど、俺達がその老婆に話しかけるより前に、通りがかった中学生が老婆の荷物を運ぶのを手伝った。
この世界にはヒーローがいない。
けれど、それは救いの手がないことを意味するのではなく、誰もが救いの手を差し伸べる意識を持つことを意味しているのかもしれない。
その後もバスを乗り継ぎ、氏子ドクターに指定された場所に到着した。鬱蒼とした森の中にポツンと立つ寂れた展望台の上からは、お世辞にも綺麗とは言えない深緑に塗り潰された景色が眺められた。周りには人の姿はなく、建物らしきものも見当たらなかった。
「本当にこんなところに何かあるのかよ。ドクターは見たほうが早いとか抜かしてたけどよ」
展望台の手すりにもたれ掛かり、空を見上げる。今にも雨が振り出しそうな暗い雲が頭上に重苦しくのしかかっていた。息が詰まりそうだ、と重たいため息をつく。
ゴプッ——。
息が詰まりそう、ではない。本当に詰まったようだ。口から黒い液体が溢れだし、酸素を肺に入れることもかなわない。この感覚は——。
視界が黒に覆われる。わずかに開いた隙間からは、同じように黒に覆われていくトゥワイスの姿が見えた。
「よく来たのぉ。いや、来てもらったというのが正しいか。監視カメラのない場所はあそこぐらいしかないからのぉ」
ゲホゲホと咳き込みながら、声のする方をみれば氏子ドクターが椅子に座ってこちらを見ていた。周囲には脳味噌が入ったガラス管が無数に置いてあり、チカチカと点滅するモニターが不気味に辺りを照らしていた。
「おい、これは何だ」
「見て分からんか。脳無じゃよ。わしのオリジナルが集めた個性のストックを丁寧に育て上げて、脳無へと進化させたんじゃよ」
氏子ドクターは脳無の入ったガラス管に歩み寄り、愛おしそうにガラス管を撫でながらそう言った。
「オリジナル?」
「わしはおぬしらが氏子と呼んでいた人物から抽出した『個性』を元に作ったコピーじゃよ。おぬしらと同じ、な」
「な!?」
氏子の口から飛び出た言葉に、驚きのあまり空いた口が塞がらない。『個性』から抽出したコピー。それが俺達の正体だというのか。
「そんなに驚かんでもよい。個性因子には人格と一部の記憶が宿る。そう不思議なことでもないじゃろう。まあ、これだけの年月は掛かってしまったがのぉ」
遠い目をして呟く氏子の目が、途方もない歳月を見つめているような気がして背筋が凍る。一体、どれだけの執念がこの男を突き動かしたのだろうか。
「にしても、今の世の中が『個性』が抹消された世界で良かったわい。混ざり合い発展した『個性』は身を滅ぼすものとなり、やがて『個性』のない世界が謳われた。その結果、出来たのがこの世界じゃよ」
「超人社会の限界か」
「その通り。そんな世界になるまでの間、わしはストックしてたモカちゃんのデータと死骸、脳無に回収させたおぬしらの身体の一部からおぬしらを作り出したというわけじゃ」
「何が目的だ」
「簡単な話じゃよ。オールフォーワンの再臨。敵連合の復活。この世の中を破壊しつくし、魔王たる存在をこの世に知らしめるためじゃ」
「そのために俺達を復活させたというのか」
「その通り。敵連合の幹部であるおぬしらがいれば、ヒーローのいない腑抜けきったこの世の中など簡単に破壊しつくすことが出来る。復活できたのはまだおぬしらだけじゃが、じきに他の奴らも培養が完了して生まれるじゃろ」
肉塊のようなものの入ったガラス管をコツコツと叩き、氏子は目を細めた。
「どうじゃ?やるじゃろ?」
答えは決まりきっているだろう、という視線が俺達を射貫く。ただ、生憎素直に首を縦に振るほど俺の性根は真っすぐじゃなかった。それに俺の目指していた世界はヒーローの存在しない世界だ。望んでいた形とは多少なりとも様相は違っていても、それが果たされた事に変わりはない。
トゥワイスの方をチラリと見ると、トゥワイスも従う気はさらさらないようで冷めた目を氏子に向けていた。
「悪いけど、答えはノーだ」
「なぜじゃ!この世界はおぬしらの思うがままの世界になるんじゃぞ!誰もおぬしらに逆らえない、そんな世界が!」
氏子が目を見開き、激昂する。そんな氏子とは対照的にトゥワイスは冷静に言葉を吐いた。
「俺は俺みたいなイカレ野郎が受け入れられる世界にしてくれると思って、死柄木についていったんだ。支配しようだなんて思っちゃいねぇよ」
「俺も、ヒーローもどきが私腹を肥やす世界が嫌で、そんな世界をぶっ壊したくて、死柄木についていったんだ。お前に賛同なんて出来ないわな」
「おぬしらだけが『個性』を持つ世界じゃぞ!なぜ、その優位性が分からん!」
『個性』。前の世界で俺達は『個性』に囚われて生きてきた。力のあるもの、力のないもの。それによって世界から受け入れられるもの、受け入れられないものも生まれてきた。トガちゃんのように『個性』による欲望で周りから理解されないものもいた。荼毘のように身を滅ぼす『個性』によって道を閉ざされ、望んだ未来を手に入れられないものもいた。
「受け入れられない『個性』は障害になる。ここはそんな障害のない世界なんだよ。ヒーローもヴィランもない。この世界に『個性』持ちなんていないほうがいいのさ」
「それに俺達はお前の手駒じゃない。てめぇの尺度で人生を測って、何をするか決めるな。仲間の人生を弄ぶんじゃねぇ!」
トゥワイスがサッドマンズパレードを発動する。
「何をする気じゃ!何の為に生まれてきたと思っておる!」
「決まってんだろ?俺達はヴィランだ。気に入らねぇもんは」
「「ぶっ壊す」」
粉々になったガラス管と動くことのない脳無の間を縫って出口を探して歩く。途中の机の下に動くものを見つけて追いかけると、そこにいたのは見慣れた脳無だった。
「これ、氏子がジョンちゃんとか呼んでたやつか?」
「えらく気にいって可愛がってたもんな」
ということは、こいつの『個性』はワープのはずだ。
「こいつを使えば、望んだ場所に戻れるってわけだ」
どこに戻ろうかと考えた時、一番最初に思い浮かんだのは学校の屋上だった。なんとなく、俺達がコンプレスとトゥワイスとして、再び出会った場所に行きたい気分だった。俺はジョンちゃんを手にして、学校の屋上まで転送するように命じる。
ゴポ———。
口から黒い液体が溢れだし、視界が闇に染まる。
次に目を開けたときには真っ赤な夕焼け空が広がっていた。下からは部活動をしている生徒や教師の声が聞こえてくる。横にいたトゥワイスが伸びをして、辺りを見渡した。
「屋上みたいだな」
「ジョンちゃんは置いてきちまったけど、まあ多分自我を持つとかはないだろう」
「なんか今日は色々あって疲れちまったな。一服するか」
そういうとトゥワイスは煙草を取り出し、口に咥えた。
「いつの間にそんなの買ったんだよ」
「お前がバス停でボーっとしてる時に自販機で買ったんだよ。自販機が古いタイプで助かった」
トゥワイスはごそごそとポケットを漁り、しまったという顔をする。
「ライター買うの忘れた」
「ばーか」
「だってよぉ、前の世界ではずっとライター持ってたから買うっていう発想がなかったんだよ」
煙草が吸えないと分かり、トゥワイスは目に見えてしょんぼりとする。口に咥えたままの煙草を上下に動かして、むくれていたが突然「そうだ!」と言って、こちらを見てきた。
「なんでもいいから圧縮玉出してくれよ!」
「は?ライターとか入ってないけどいいのかよ」
「いいんだよ。思い出したんだよ!理科だよ!理科の実験!ガラス玉で焦点だかを合わせると火がつくやつだよ!」
名案だと言わんばかりに満面の笑みを浮かべて、トゥワイスは手を差し出してきた。無邪気な様子に半ば呆れながら、その手に適当な小石を圧縮した圧縮玉を乗せる。
「よっし!」
トゥワイスは夕陽を集めて、何とか火をつけようと試みる。
「陽も傾いてるし、無理じゃないか?」
「やってみなきゃ分かんねぇだろ!無理だな!」
トゥワイスは圧縮玉を前後させながら、頑張って煙草の先に光を集めている。本当にこんなので火がつくのかと半信半疑でその様子を見つめる。トゥワイスは何とか火をつけようと格闘しているが一向に火がつかない。もう諦めろよ、と声を掛けようと口を開こうとしたその時、煙草の先からジジッと煙が上がった。
「ほら!見ろ!つきそうだ!」
「うお!すげぇ!マジでつくのかよ!」
予想していなかった光景に思わず声を上げる。自分の影が重ならないように気をつけながら、ジッと煙草の先を見つめる。小さかった煙は徐々に大きくなり、先端が赤く焦げた。
「おい、吸え!今ならいけるぞ!」
トゥワイスの肩を揺すり、吸うように促す。トゥワイスは慌てて煙草を咥えると深く息を吸い、美味しそうに目を細める。その姿があまりにも幸せそうで、俺も思わず吸いたくなってきた。
「俺にも煙草くれよ」
「仕方ねぇな、ほらよ」
トゥワイスは煙草を一本取り出し、俺に渡した。
「結構、難しいぞ。これ」
トゥワイスはニヤニヤしながら、圧縮玉で集めた光を俺に当てて挑発してくる。
「そんな面倒くさいことしないよ」
俺はトゥワイスからの挑発には乗らず、煙草を咥えるとその先をトゥワイスの煙草の先端に当てた。
「楽しやがって。天才だな!」
意図を理解したトゥワイスが息を吸う。トゥワイスの煙草の火が俺の煙草に移った。煙を深く吸い、吐き出す。夕陽を見上げながら味わう煙草は格別だった。暫くの間、無言で煙草をくゆらせる。下から聞こえる生徒たちの声が妙に遠く感じられた。
ボーっとしていると突然階段を駆けあがってくる音が聞こえた。
「誰だ!煙草を吸っているのは!逃がさんぞ!」
「ヤベッ」
とっさにトゥワイスに触れて、圧縮をする。小さな圧縮玉の中に俺とトゥワイスの二人が閉じ込められた。バタンとドアが開く音がして屋上に体育教師が入ってきた。恐らく、部活の指導中に屋上で煙草を吸っている俺達を発見したのだろう。
「確かにいたはずなんだがなぁ……」
体育教師は辺りを見渡すと不思議そうに首を傾げて、屋上を去っていた。
圧縮玉の中、トゥワイスと二人で顔を見合わせてハイタッチをする。
「お前に助けられたな。ありがとうよ」
「いえいえ、どういたしまして」
トゥワイスにお礼を言われて、そう返すがどうしても拭えない違和感があった。お礼を言うのは俺の方だ。あの世界で命を救ってくれたこと、仲間だと大切に想ってくれたこと。細かい事情は説明しなくても、お礼を言いたかった。あの時、言わなきゃならなかった言葉を伝えるなら、今だ。伝えられなかったとまた後悔することの無いように。
「なあ、俺さ、お前に一つ嘘をついてたわ」
「なんだよ。急に」
「俺は、本当はお前より先の記憶があるんだよ。そこでお前に助けられた」
「そっか。俺はお前を助けられたか」
トゥワイスはあの時、最期に見せた表情と同じ顔をしていた。心の底から幸福だというような、そんな笑顔だった。
「でも、お礼は言えてなかったんだ。氏子が何の為に生まれてきたって言ってたけどよ。俺がこの世界に生まれて、しなくちゃいけないことがあるとすれば、お前にお礼を言うことだ」
あの時のトガちゃんのように、感謝を込めてトゥワイスを抱きしめる。
「助けてくれてありがとう」
トゥワイスの身体はあの時のように溶けることなく、しっかりと形を保っていた。
きっと、この先もこの身体が溶けることはないだろう。
小さな圧縮玉の中には誰も邪魔することのない世界が広がっていた。