外れたイメージ(Mr.コンプレスとトゥワイス)

トゥワイスが迫圧紘の素顔を初めて見たときってどんな状況だったんだろうなって

トゥワイスとMr.コンプレスの視点で交互に書いてます


いらぬ好奇心など持つべきではなかった。
 ズルリと崩れ去り、自らの手を汚していく泥の生暖かさを感じながら俺は後悔していた。

 事の発端は一仕事終えたコンプレスの分身を片づけようとした時の思いつきだった。コンプレスのマスクを取ったらどんな顔が露わになるのか、気になってしまったのだ。
 俺はコンプレスの素顔を見たことがない。あいつはいつもマスクを着けていて、決して俺達に素顔を晒すことはなかった。計測の時もマスクをした状態で行ったぐらいだ。けれど、隙間から微かに見える肌やマスク越しに見える輪郭は整っていて、見せたくない何かを隠すためのものではないように感じられた。
 だから、ちょっとぐらい素顔を見ても許されると思ってしまったのだ。
 目の前にいるコンプレスの分身は今から壊されることを理解しているようで、俺がその首をメジャーで搔っ切るのを、情が薄いねぇだのと言いながらも待ってくれていた。
「なあ、コンプレス。ちょっとそこに座ってくれないか?お前、背が高いから首を切りにくくてよ」
「はいはい。これでいい?」
 片膝を付いて俺を見上げるコンプレスの首元にそっと手を掛ける。マスクの境目に指を引っ掛けると、コンプレスは小さく「あっ」と声を出した。子供の悪戯を見つけた母親のような、小さな咎めと諦めの入り混じった声を俺は聞かなかった振りをして、マスクを上に引っ張った。
 マスクは腐ったトマトの皮のように顔面をズルリと滑り、コンプレスの顔の表面を一緒に連れていった。残された顔はぐちゃぐちゃで肉なのか泥なのかの判別すら出来ず、呆然とする俺の目の前でドロドロと崩れ去っていく。
 ドロドロ、ドロドロと崩れ去っていく。
 手に残ったマスクも同じようにドロドロと崩れ去っていく。
 そうか。包まなければ、裂けてしまうのだ。知っていたはずなのに。
 コンプレスも包んで一つになってたのだ。
 それを取り払ってしまったから、裂けて泥になってしまったのだ。
 ふと、自分のマスクとコスチュームの境目が気になり、手を伸ばす。マスクとコスチュームは1㎜の隙間もなく、ぴったりと俺に吸いついていた。大丈夫だ、大丈夫。自分にそう言い聞かせて、マスクを下に引っ張って更に密着させる。首元に伝わる息苦しいほどの圧迫感がかえって心地よかった。
 先ほどの光景に俺の喉はカラカラに乾いていた。けれども、水を飲む気にはなれなかった。水を飲むためにはマスクを口元まで上げなければならない。けれど、マスクを少しでも皮膚から浮かせれば、先ほどのコンプレスのようにその隙間からドロドロと泥が溢れだしてしまう。
 包まなければ。包み続けていなければ。裂けてしまう。泥になってしまう。

 作戦から戻ってきたトゥワイスの様子がおかしい。いつもは暇さえあれば煙草を吸いに行くのに、一度も吸いに行っていない。それどころか、食事を取らなければ、水を飲む様子もない。しきりにマスクの境目を触っては下に引っ張っている。いつもの饒舌さは鳴りを潜め、何かに怯えるように静かに膝を抱えていた。
「トゥワイス、何かあったのか」
「何もない」
「何もないことないだろう。頑なにマスクを外そうとしないし」
「包まないと、裂けるんだ」
 その言葉はトゥワイスがよく口にする言葉ではあったが、発せられた言葉はいつもよりたどたどしく、体は強ばっていた。明らかにいつもよりもマスクを外すことに対して恐怖心を抱いている。
「煙草吸いに行くときとかに外しているだろう。裂けやしねぇよ」
「裂けるんだ!裂けるんだよ。ちょっとでも隙間があけば、そこから裂けていくんだ!お前なら分かるだろう!?」
 マスクと皮膚との間が開かないように半ば自分の首を締めるようにしながら、俺の方を向いたトゥワイスの目はマスク越しでも分かるぐらいに恐怖で揺れていた。
「お前なら分かるだろうと言われてもなぁ……」
 俺のマスクはトゥワイスのマスクと違って包む目的はない。ただ、素顔を隠していたほうが何かと便利だからという理由だけだ。そのことはトゥワイスも理解していると思っていただけに、その言葉が引っかかった。
 トゥワイスがこのような状態になってくる前に行っていた作戦は俺の分身を使うものだった。その分身に何か言われたのだろうか。そう思ったが、俺の分身がここまで追い詰める言葉を使う様子は想像が付かない。となると、実際に何かあったのだろうか。マスクを外せば、俺が裂けると思う事態が。そこまで考えて一つの結論に辿り着いた。
 ……こいつ、俺のマスクを外したな?
 俺の素顔をトゥワイスに晒したことはない。それはつまりトゥワイスの脳内に顔のデータとイメージがないということだ。そうなれば、当然マスクを外した瞬間にデータにない俺の顔は崩壊する。それをトゥワイスはマスクを外したから裂けたと認識したのだろう。トゥワイスの自業自得とはいえ、これほどまでに憔悴しきっているとなると放っておくわけにもいかない。俺が素顔を明かしていなかったのが原因の一つでもある。まあ、その点については悪いとは思わないが。
「トゥワイス、こっちこい」
 膝を抱えて小さくなっているトゥワイスの腕を掴み、アジトのトイレに連れていく。トイレの便座に座らせて、扉を閉めた。
「鍵が掛かるのがここしかないから」
 俺の意図を図りかねているトゥワイスは不安げな顔をして俺の顔を覗き込む。
「俺の素顔、見せてやるよ」

「俺の素顔、見せてやるよ」
 コンプレスはそういうと自らの仮面を外し、マスクに手を掛けた。
 駄目だ。崩れてしまう。跡形もなくドロドロに崩れてしまう。
「駄目だ、コンプレス。やめろ……!」
 腕を掴んで静止しようとするが、コンプレスはひらりと腕を回して躱した。そして、そのままマスクを上げると顔が顕わになった。
 今はまだ元の形を保っているけれど、あと何秒かすれば崩れてしまうだろう。いや、もう一刻の猶予もないのかもしれない。包まなければ。包まなければコンプレスが消えてしまう。片腕だけでなく、その全てが失われてしまう。また、俺のせいで大切な仲間を失ってしまう。嫌な想像で埋め尽くされて、真っ白に冷え込んでいく脳内で、包まなければという意識だけが熱を持って残っていた。その意識に促されるまま、俺は自らのマスクを取り、コンプレスに被せた。

「うわっ!」
 突如として視界が闇に染まり、煙草臭さが鼻を突いた。頭に被せられたものがグイグイと下に引っ張られる感覚に戸惑っていると、突如として視界が開けた。その視界は白く霞がかっており、目の前にはマスクを外したトゥワイスが目を見開いて、「包まないと……」とブツブツ呟きながら必死に俺に被せられた布切れを引っ張っている。その様子を見て、俺は被せられたものがトゥワイスのマスクであるとようやく気がついた。
 否。初めからトゥワイスのマスクであるだろうという予測はしていた。けれど、マスクと皮膚の僅かな隙間にすら怯えているトゥワイスが自らマスク外すとは到底思えず、その可能性を排していたのだ。
 けれど、実際はどうだろうか。現にこうしてマスクを自ら外し、俺に被せているでないか。
 トゥワイスは自分が裂けないことよりも、俺が裂けないことを優先したのだ。相変わらず変なやつだと思う。けれど、その異質さが好ましかった。
 トゥワイスは俺が完全にマスクに包まれたのを見て、安堵したようにため息をついた。そして、そこでようやく自分自身が何にも包まれていないことに気がついたのか頭を抱え、着ていたシャツで頭を包もうと襟元を引っ張った。けれど、上手く服が上がらず、トゥワイスの呼吸は焦りと不安で荒くなっていく。ここまで取り乱すのに俺を包もうとしたトゥワイスに愛おしさに似た感情すら覚えた。
 俺は手に持った自分の覆面をトゥワイスの頭に被せた。
「こうすりゃ一つ、だろ?」
 覆面に包まれたことによって、少し安心したのかトゥワイスは俺の方を見ると小さく「ああ」と返した。
「お前の気持ちも考えずにして、悪かったよ。裂けないから大丈夫だって伝えたかっただけなんだけど。今度はお前のペースでやってくれ。それなら安心だろ?」
 俺はトゥワイスの手を掴み、自らに被せられたマスクの境目に手を持っていった。
「大丈夫だ。裂けないから」
 トゥワイスの手とマスクを一緒に掴んで、ゆっくりとマスクを上げていく。トゥワイスの手は微かに震えていた。ゆっくりゆっくりとマスクを上げ、ようやく口元まで辿り着いた。
「ほら、こんなに上まで来たけど裂けないだろ?」
「ああ」
 トゥワイスはマスクをゆっくりと持ち上げながら、時々手を止めて輪郭を確認するように俺の顔を両手でペタペタと触った。トゥワイスのマスクは伸縮性が高く、トゥワイスが手を離すとギチギチと肌に食い込んで痛い。
「なぁ、トゥワイス。ここまで来たら裂けないって分かっただろ?もう一思いにやっちゃってくれよ」
「そんなことをして、ドロドロにならないか」
「大丈夫だよ。というか、思ったよりも圧迫感があるんだよ、これ。早くしてくれ」
 トゥワイスの手を取ってマスクを持たせ、勢い良く持ち上げる。マスクはスルリと外れ、俺の視界は開けた。
「な?大丈夫だったろ?」
 トゥワイスは何にも包まれていない俺の顔を何度もペタペタと確かめるように触り、それが崩れないと分かると安堵したように大きくため息をついた。
「で?ご感想は?」
 分身を使ってまでして、こっそりと見ようとした俺の顔だ。何か感想の一つや二つ出るだろうと言葉を促す。けれども、トゥワイスは俺の顔つきなどどうでもいいようで、顔が崩れなかったことに対して「良かった、本当に良かった」と繰り返していた。
 何かしらの反応があるだろうと期待していただけにトゥワイスのその反応は何となく面白くなく、さっさとトゥワイスに被せた覆面も外してこの狭っ苦しいトイレから出たくなった。
「じゃあ、次はお前の番だな」

「じゃあ、次はお前の番だな」
 コンプレスはそう言うと俺の被っている覆面に指を掛けた。指によって覆面との間に出来た隙間から俺の一部がドロドロと溢れるのを想像して、慌ててその指を上から押さえつける。
「駄目だ。まだ、心の準備が出来てない」
 だから待ってくれ、とそう伝えるとコンプレスは呆れたようにため息をつき、目元を指差した。
「ここはこんなに開いてるんだから、これぐらい大丈夫だろ?」
 コンプレスの言葉に目元や口元が包まれていないことに気が付く。慌てて目と口を手で覆うが、その穴から泥がこぼれ落ちる様子はなかった。恐る恐る手を離して、コンプレスの方を見るとコンプレスと目があった。
「な?大丈夫そうだろ?俺に任せとけって」
 コンプレスは軽くウインクをすると、俺の背中に腕を回して、自分の方へ引き寄せた。促されるままに身体を傾けると俺はコンプレスの胸に顔を埋めた状態になった。コンプレスは片手で俺を抱きしめたまま、ゆっくりとマスクを持ち上げていく。裂けるかもしれないという恐怖心で息の吐き方すら分からなくなる。
「大丈夫だ、トゥワイス。大丈夫だから。大きく息を吸って……吐いて……。そう、上手上手」
 マスクを持ち上げながら、コンプレスは何度も俺に向かって優しく囁いた。その囁きには魔力が込められているようで、俺の不安を攫っていく。
 コンプレスの言葉と胸に包まれ、気がつけばマスクは取れていた。
「はい、おしまい」
 コンプレスは俺から身体を離すと、両手で俺の顔を優しく包んだ。じんわりと伝わる手のぬくもりと義手の冷たさが俺の輪郭が溶けずに保たれていることを伝えていた。
「な?大丈夫って言ったろ?」
 コンプレスの声をした目の前の男はゆるりと口角を上げると、大木の落ち着きを宿した瞳を細めた。初めて見るその表情の主が誰か分からず、俺は呆けた顔でその男を凝視した。
 呆けている俺の顔を見て、その男は愉快そうに笑うと持っていた覆面を身に着け、仮面をつけた。見慣れたコンプレスの姿へと装いが変わっても先ほどの男とコンプレスが結びつかず、俺の口からは「コンプレス……?」という間抜けな問いが漏れ出ていた。
「やっぱり最高だよ、お前は」
 愉快げに笑ったその声はいつものコンプレスだった。

 想像を越えるトゥワイスの呆けっぷりに俺の胸は踊っていた。エンターテイメントはこうでなくては。トゥワイスに背を向け、トイレから出る。動揺している観客を残して舞台を去るのが演者の嗜みだ。
 上機嫌にトイレ前から去ろうとすると、荼毘とすれ違った。
「随分と上機嫌じゃねぇか」
「まあね」
「へぇ……お盛んなことで」
 荼毘の言葉にピタリと足が止まる。お盛ん……?なんの事だろうか。そう思いながら、今まで口に出した言葉を振り返り、トイレの薄いドア越しに荼毘に聞こえたであろう言葉の数々を想像する。
 そして、至った一つの結論を否定するために、俺はすでに去っていった荼毘を慌てて追いかけた。